課題に対する「重要度」とその取り組みに対する「緊急性」について

 あなたはどんなことを先延ばしをしてしまいますか?

 

 嫌いなことのみならず、あなたは好きなことも先延ばしにしてしまいますか?

 

 もしあなたが好きなことは先延ばしにしないというのでしたら、先延ばしにしないことの条件について考えることができますよね。同じように先延ばしにしてしまう条件についても考えてみることで、先延ばし癖改善のヒントを得ることができるのかもしれません。

 

 

 「好きなことには先延ばしをせずに取り組めるのに、嫌いなことは上手く取り組めずに先延ばしにしてしまう」と言う方は多いです。これはつまり少し極端な言い方をすると、「好きなことしかやらない、嫌いなことはやらない」となります。

 

 これについては、「好きなことには取り組める。これからは好きでないことにも少しずつ取り組めるようになろう」の目標が持てると良いですね。「好きなことしかやりたくない」の考えが「好きでないこともやらなくちゃ」の考えにほんの少し歩み寄るだけで、行動に大きな変化が現れると思います。

 

 

 さて、「嫌いなものには上手く取り組めないけど、好きなものには取り組める」という方の中で、「取りかかりは先延ばしにするけど、結局いつも土壇場でその課題を片付けられている」という方は多いと思います。お世辞抜きでこれはスゴイ能力だと思います。

 

 ですが、そんな振る舞いにあなたが何らかの問題を感じているのでしたら、その振る舞いは改善しなくてはなりませんね。例えば、そのやり方だと「雑な仕上がりになりがちで納得いかない」、「ずっと焦燥感を抱き続けてしまう」など、いろいろとあると思います。

 

 その課題が自分にとって「重要度」の高いものであれば、先延ばしをするにしても、いつかは結局やることになるのでしょう。つまりこの「重要度」というものは、自分にとって「やる、やらない」を決定する上での基準として大きな役割を果たしていると言えそうです。重要度が高いと感じられれば、「この課題はやらなければならないものだな」となるのでしょうね。

 

 となれば、あとはそれを「いつやるか?」ということですね。

 

 

 土壇場で課題を片付ける能力に恵まれた人は、ついその能力に頼ってしまう傾向があるのかもしれません。ゆえに面倒と感じるものはできる限り「あとまわし。あとまわし」。

 

 そして「緊急性」を感じたとき、言い換えれば「火がついたとき」に爆発が起きたかのようにものすごい瞬発性を武器に、その課題に取りかかり、そして片付けるのです。

 

 とてもスマートな感じもするのですが、つまりこれは、「緊急性」を感じて「火がつかなければ」課題に取りかかることができないということになりますね。ちなみにこれは「嫌いなことでも取り組めるときの条件」と捉えることができます(重要度の高い課題への取り組みについて緊急性を感じたとき)。

 

 でもこの条件下でしか課題に取り組むことができないということが、そもそも問題なわけですよね。

 

 

 百も承知のことかもしれませんが、言いますね。もしその課題が自分にとって「重要度」の高いもので、どの道やらなければならないものだとしたら、先にやろうが後回しにしてやろうが、いずれやらなくてはいけなくなるのです。

 

 後回しにすれば、課題に取りかかるまでの間「あー、あれやらないとなぁ」なんて不快な気分をずっと抱き続けなくてはなりません。

 

 一方で、すぐに取り組むことができれば、その不快な気分を引きずらないで済むのです。

 

 課題に取り組むことの苦痛はどの道経験すること。

 

 どっちがいいですかね?これはそんな話なのだと思います。